推定平安末期から鎌倉初期ごろまでの間、この地方の開拓に当った豪族の、下僕たちの粗末な人物像12面を刻出した7基の供養碑をはじめ、 五輪塔数基、宝搭5基が保存されている。
(昭和57年5月11日指定)